注目される背景・情報開示・人的資本を高める方法を有識者が解説
「人的資本経営」の実現に向け、企業が考えるべきこと【後編】
2022.06.13
企業が人的資本経営を実践していくためには、どのような知識を学び、準備を行っていけばよいのか。リクルート主催の発表会レポートの後編は、企業の「人的資本経営」実現に向け、実践的な内容に触れていく。以下、寄稿レポートより。
解説者:リクルート HRエージェント Division リサーチグループ マネジャー/研究員 津田 郁【写真左】
2011年リクルート海外法人(中国)入社。グローバル採用事業『WORK IN JAPAN』のマネジャー、リクルートワークス研究所研究員などを経て 21年より現職。現在は労働市場に関するリサーチ業務に従事。専門領域は組織行動学・人材マネジメントなど。経営学修士。
人的資本経営の実践――「戦略」と「情報開示」
人的資本経営を実践していくためには、2つのアジェンダがあると考えています。
1)人的資本の価値を高める戦略
……人的資本の投資戦略を検討し、従業員へ働きかけながら推進していく
2)人的資本の情報開示
……ステークホルダーに対して、自社の人的資本の状況を透明性高く開示する
まず、人的資本の価値を高める戦略、すなわち人的資本投資戦略を検討する必要があります。
そして戦略の内容や取り組みの状況を社内外に開示する。開示だけで終わらず、さまざまなステークホルダーと積極的に対話し、得られた指摘やフィードバックを踏まえて次の戦略に活用する――その好循環を作り出すことが、人的資本の持続的な価値向上につながっていくと考えます。
「ISO30414」をはじめ、規格は多様。まだまだ議論が続く
では、「人的資本の情報開示」について、海外・国内では現在どのような状況にあるのでしょうか。
海外の動向としては、2020年8月に米国証券取引委員会(SEC)が「人的資本の情報開示を上場企業に義務づける」と発表し、世界にインパクトを与えました。
国内では、2021年6月に東京証券取引所がコーポレートガバナンス・コードを改訂。情報開示に関する補充原則において上場企業に対し「人的資本や知的財産への投資等について経営戦略との整合性を意識して具体的に内容を開示すべき」と要請しています。
日本政府は、2022年夏をめどに人的資本に関する情報開示指針の策定を進めており、具体的な開示項目や評価方法が検討されています。
人的資本と同様にサステナビリティへの取り組みで注目される「気候変動」の開示項目・基準については、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)やIFRS財団のサステナビリティ基準(ISSB)においてグローバルスタンダードが確立されつつあります。
その一方で人的資本の情報開示は自由度が高く、主体性が求められるという点で気候変動の情報開示とは性質が異なっています。各国・各機関が提唱する規格が乱立している状況であり、議論が継続中。今の段階ではまだグローバルスタンダードが定まっていない認識です。国内外の今後の動向に注視が必要でしょう。
人的資本の情報開示のガイドラインの一つに、国際標準化機構(ISO)が2018年に公表した「ISO30414」があります。「ISO30414」では以下の図のとおり、11の主要領域・58の項目が示されています。
「社外への開示・報告」まで行っている企業は15%未満
リクルートでは「ISO30414」の規格を参考に設問を作成し、企業の人事担当者に対して、所属する企業の人的資本に関する情報の測定および開示・報告状況について質問しました。
その結果「人的資本に関する情報を測定している」と回答した企業の割合は64.6%と、半数以上の企業で情報の測定が進んでいることが分かりました。
64.6%の内訳を見ると、測定によって得られた情報について「自部署(主に人事部)のみで活用」している割合が19.7%、「社内のステークホルダー(経営層や従業員など)のみに開示・報告」が30.1%でした。「社外への開示・報告」まで至っている企業は15%に満たない結果となりました(14.9%)。
世界的に人的資本の重要性がクローズアップされる中、企業はどのような情報をどう公開していくのかを考えるべき時期にきているといえるでしょう。
情報開示を進めるための2つのポイント
では、企業はどのように人的資本の情報開示を進めていけばよいのでしょうか。
意識しておきたい2つのポイントをご紹介します。
1)一貫性のあるストーリーが大切
ステークホルダーが求めているのは、単にデータを網羅的に掲載したレポートではありません。
もちろんデータも大切ですが、その企業の考え方までを含めた「一貫性のあるストーリー」を知りたいのです。
次のような内容を、データ&ナラティブで伝えることが大切です。
- 経営理念、目的
- 人材マネジメントポリシー
- 人的資本への取り組み(投資内容)
- KPI、PDS、スコア(成果)の状況
- これらの取り組みが、ビジネスを推進する上でなぜ重要なのか
こうした事項を、国・地域・業界のビジネス特性などを踏まえた上で伝えていくことで、投資家・従業員共に納得感が高まるでしょう。仮に今期のスコア(成果)が目標に届かなかったとしても、その結果をどう捉えて未来に向けて行動していくのかを示す必要があります。
なお、データの開示については信頼性(適切なプロセスを経て収集されているか、など)、比較可能性は担保されているか、従業員らの個人情報の利用目的を明確に示したプライバシーポリシーを設定しているか、といった点も重要です。
2)ステークホルダーと対話を始める
人的資本の情報開示は投資家・株主への情報提供が議論の中心になりがちですが、従業員や顧客、地域社会、就職を希望する個人などさまざまなステークホルダーを念頭に置いて開示を行うべきと考えます。情報を開示するとともに、相手の意見に耳を傾けることも大切です。
例えば「従業員の価値観を尊重する」と掲げていても、当の従業員たちは「自分は会社から大切にされている」「この会社は誰の意見であっても真剣に聞いてくれる」と感じているでしょうか。
情報開示がゴールではなく、そこから始まる対話にこそ価値があります。さまざまなステークホルダーから得られた意見・アイデアを、人的資本のさらなる価値向上に活用していきましょう。
人的資本の価値を高める戦略、3つのステップ
「人的資本への投資」というと、一般的には研修やセミナーなどのスキル開発に関する取り組みがイメージされます。
それらも重要ですが、スキル開発のプログラムを提供しさえすれば人的資本の価値が高まっていくわけではありません。企業が行うべき人的資本への投資には3つの観点があります。
- 人材価値向上への投資
- 人材価値活用への投資
- 人材価値循環への投資
人材価値向上への投資とは、従業員のスキルや能力を高めるための一連の取り組みです。人材価値活用への投資は、人材が保有するスキルや知識・経験を企業の価値創出につなげるための仕組みをつくり、それらを機能させることを意味します。人材価値循環への投資とは、人材の価値を、企業の枠を超えて広く社会で巡らせるための取り組みを指します。
戦略的に人的資本の価値を持続的に高めていくためには、上記のような投資の観点を踏まえた上で、「企業の従業員に対する考え」「人材を活かすための仕組み」「具体的な人材への働きかけ」のすべてが経営目的の実現に向けてデザインされている必要があります。
いま必要なのは、働く人の「変化対応力」を高めること
ここでもう1つ、重要な問いについて考える必要があります。それは「具体的にどのような人的資本の価値を高めればよいか」という点です。当然ながらそれぞれの企業の状況によって答えは違ってきますが、今回私たちは働く人の「変化対応力」に注目し、「人的資本の価値向上=変化対応力の高まり」と考えて分析を行いました。
ではなぜ変化対応力に注目したのか。それは、今この時代に生きる人と組織にとって最も欠かせない要素であると考えたためです。
企業は不確実性が高い環境下で、常に新しい戦略を立案、実行していかなくてはなりません。それらをスピーディーに遂行していくためには、機動的な戦略人事が必要です。
従業員には、新たな戦略に納得してそれまでの行動パターンを変え、新しい仕事のやり方に順応して成果を出してもらわなければなりません。
つまり、働く人が「変化」に対していかにコミットをしてくれるかどうかが、戦略実現のカギを握るのではないでしょうか。
一方、働く個人にとっても、職業人生が長くなる中で何度もスキルや協働の仕方を革新していく必要があります。
これからの時代のキャリア形成においては、働く人が主体的に変わり自律・自走してスキルを獲得していかなければなりません。企業としては日頃から、従業員が高い変化対応力を持つための支援をすることが重要といえるでしょう。
以上を踏まえた上で作成したのが、「人的資本の価値を高める3ステップ(変化対応力版)」です。重要な6つの要素を、3つのステップに整理しました。
【STEP-1】人材の捉え方
多様な個の尊厳への配慮
多様な人々の価値観を尊重してあらゆる人に潜在価値があると信じることが、すべての人的資本を活かすための基礎になります。不当な差別が行われていないことは当然として、単に多様な人が存在しているだけではなく、働く人の意見や考えに耳を傾ける組織風土があることが重要です。
相互選択的な関係性の構築
従業員は会社の所有物ではなく、相互選択的な関係性を築くべき存在です。自社で働くことがその人にとって良い選択になるように、ビジョンを伝えて対等に接すること。さらに、従業員がどのような制約を抱えていて何を大切にして働いているか把握し、働きやすい職場環境の提供に努める必要があります。
【STEP-2】人材を活かす仕組み
丁寧な採用と舞台設定
丁寧な採用とは、人材と企業が互いに何を求めているのかについて、採用の段階からきちんと擦り合わせること。企業は仕事において何が求められるのかを曖昧にせず、どのような職場でどれくらいの成果を期待する仕事に就くのか、職場の協働体制や評価基準などを明確に伝える必要があります。併せて入社希望者に対して自社が提供できるさまざまな機会を説明し、その人のキャリア形成の観点から良い選択になるか検討することが、その後の部署配置や育成のプロセスにつながります。
舞台設定とは、人材の部署配置や社内異動に関する項目です。同じ人材でも配属先の組織文化や人間関係によってパフォーマンスは大きく変わります。本人の希望も踏まえた上で、その人が最も活きる舞台はどこなのか、真剣に探し出す必要があります。さらに、なぜそこに配置されたかについて従業員に説明し、納得感を得ることが重要です
確かなマネジメントスキルの装着
確かなマネジメントスキルの装着とは、職場で人材の指導や育成に携わる管理職が質の高いマネジメントができるようになるための一連の取り組みです。企業は、管理職にどのような役割を期待するのかについて行動レベルやスキルに落とし込み、具体化して示す必要があります。
管理職本人が面白さ・やりがいを感じながらマネジメントができるようになるためには、どのような支援をすべきなのか。人的資本経営を実践する上で避けては通れない課題です。
【STEP-3】人材への働きかけ
個とチームのエンパワーメント
従業員に対する直接的な関わり方を「個」「チーム」に分け、下記の図にまとめています。
個々の従業員に関する項目では従業員が仕事を進める際の目標設定・職務割当・達成支援といった場面に応じたポイントを、チームに関する項目ではチームワークを高めるために必要なポイントを紹介しています。
セルフ・リスキリングの促進
セルフ・リスキリングとは、日頃の仕事から一歩離れた場面での学習や内省に関する取り組みです。具体的には学び直し、スキルの棚卸し、キャリアプランの検討、多様なネットワーク形成の支援などが該当します。
人的資本経営の時代においては、働く人それぞれが自らの人材価値を意識して、主体的にそれを高めていく必要があります。企業は従業員の良き相談相手になり、一緒になって従業員の人材価値向上を実現していくべきではないでしょうか。
人的資本経営の本質は、働く一人ひとりの才能開花
人的資本経営の議論においては「情報開示」が注目されがちですが、開示だけに終始してしまうのはもったいないことです。
人的資本経営の本質とは、働く一人ひとりの活性化であり、才能開花なのではないでしょうか。
それを実現することによって、日本は世界で一番人材を大切にしている、人材をよりよく活用している国だと世界から注目されるようになるでしょう。
サステナブルなマネジメントモデルがあり、多くのイノベーションが生まれ、何より働く一人ひとりが生き生きしている――そのような世界の実現に向けて、多くの方と共にこの議論を盛り上げていきたいと思っています。【おわり】
編集部注:この記事は画像含めリクルート社から提供の寄稿レポートです。2022年5月11日時点の情報をもとに作成しています。
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