「心理的安全性」と「理念浸透」から紐解く不祥事予防のカギvol.5

理念で不祥事を防ぐ〜重要なのは「理解度」ではなく「実践度」

理念は、その企業がどのような状態を目指し、どのような価値観に基づいて事業活動を行うのかを示すものです。第3回でお伝えしたように、理念が浸透していない企業では、判断基準や望ましい行動規範が曖昧になります。その結果、コンプライアンスよりも個人や組織の利益を優先し、誤った判断・行動をしてしまうことがあります。不祥事を防止するためには、理念浸透も重要な要素です。今回は、理念浸透のポイントについて解説していきます。

これまでの連載はこちら:https://at-jinji.jp/expert/column/100 

目次

  1. 理念は理解しているかどうかではなく、実践できるかどうか
  2. 理念の「実践」を促すサイクル
  3. 理念と判断・行動をすり合わせるポイント
  4. 組織の成長ステージに合った施策で理念浸透を
  5. おわりに

理念は理解しているかどうかではなく、実践できるかどうか

過去に不祥事を起こした企業にも、理念は存在していました。多くの従業員は自社の理念を理解していたはずですし、特に反対する理由もなく「そうあるべきだ」と思っていたでしょう。にもかかわらず不祥事が起きてしまったのは、従業員が理念を「実践」できていなかったためだと考えられます。従業員がどれだけ理念を「理解」していても、「実践」できていなければ、真の意味で理念が浸透しているとはいえません。

では、なぜ理念を実践できないのでしょうか。それは、経営陣や従業員の間に、理念を実践するための判断基準や望ましい行動に関する共通認識がないからです。判断基準や望ましい行動を認識しており、それを踏まえている状態こそ、理念が実践されている状態といえます。正解が分からないときに、理念に立ち返って判断している状態と言い換えることもできるでしょう。第3回で言及したジョンソン・エンド・ジョンソンの「タイレノール事件」は、苦境に立たされたとき、理念に立ち返ることで適切な意思決定ができた典型的な事例だといえます。

どれだけ立派な理念を掲げていても、それを実践できていなければ、問題に直面したときに保身に走ったり誤った判断をしてしまったりする可能性があります。第1回でお伝えしたとおり、不祥事は「故意」によって起きているケースが多く見られます(下図参照)。

「故意」の中には、「会社や組織のためには致し方ないことなんだ」と誤った判断をしてしまう例が含まれます。理念が実践されていれば、会社としてあるべき判断基準を意識できるため、「故意」によるコンプライアンス違反を防ぐことができます。また、仮にコンプライアンスに関して十分な知識がなかったとしても、理念に立ち返って「何が正しい判断か」を考えることができるため、「過失」によるコンプライアンス違反を減らすことができます。

理念の「実践」を促すサイクル

では、どうすれば理念を実践できるようになるのでしょうか。それは、判断基準や望ましい行動について「1.すり合わせ →2.承認 →3.実践」のサイクルを回し続けることです。

「顧客第一」という理念を掲げる会社があったとしましょう。ただ、「顧客第一とは、具体的にどのような行動をして、どのような行動をしないことなのか?」と問われると、経営者でも答えられない人は多くいるのではないでしょうか。企業理念は多くの場合、普遍性を持たせるために、ある程度抽象的に定められます。そのため、「理念を実践せよ」と言われても、最初はどうするのが正解なのか分からない従業員が大半でしょう。だからこそ、判断基準や望ましい行動について具体的な共通認識を持てるようにしなければいけません。

そのためにはまず、現場で何かしらの判断・行動があったとき、「その判断・行動は理念に照らして適切だったのか?」を「1.すり合わせ」ましょう。「Aさんの行動は、当社が考える顧客第一に合った行動だったね」「Bさんとしては顧客のことを考えたうえでの行動だったと思うけど、こういう点で会社が目指す姿とはズレがあったね」といった対話を重ねるイメージです。

そして、「理念を体現した素晴らしい判断・行動だった」という事例を、社内表彰などの機会を使って「2.承認」します。こうした好事例を知った他の従業員が真似をして、「3.実践」するという流れをつくっていきます。1→2→3の流れができれば、徐々に理念実践の形が明確になり、それが社内全体に広がり、経営陣や従業員の間に判断基準や望ましい行動に関する共通認識がつくられていきます。

これまで多くの企業に対して理念浸透を支援してきましたが、理念が実践されている企業では、必ず「理念を体現した判断・行動についての、具体的なエピソード」が社内で流通していたものです。

あらゆるコミュニケーションチャネルを活用する

「1.すり合わせ →2.承認 →3.実践」のサイクルを回す際には、前回ご紹介した「4つのコミュニケーションチャネル」をバランス良く活用するようにしましょう。各チャネルを満遍なく活用することでコミュニケーションの機会が増え、理念浸透のスピードを加速させることができます。

さらに言えば、採用や育成、人事制度も一つのコミュニケーションチャネルといえます。本来的には、あらゆる人事施策におけるメッセージを統一することが望ましいでしょう。

実際に、「1.すり合わせ → 2.承認 →3.実践」のサイクルを回すことで理念浸透を実現しているといえるのが、味の素グループです。同社は「事業を通じて社会価値と経済価値を共創する取り組み」を「ASV(Ajinomoto Group Creating Shared Value)」と称し、経営の基本方針としています。このASVを従業員が「自分ごと化」し、実践できるようにするために「ASVマネジメントサイクル」という仕組みを構築し、各ステップでさまざまな施策を講じています。
ASVの詳細は、味の素グループのWebサイトをご覧ください。

出所:従業員の「自分ごと化」から社会の課題を解決!味の素グループの「ASVマネジメントサイクル」とは?|味の素グループ

理念と判断・行動をすり合わせるポイント

「1.すり合わせ → 2.承認 →3.実践」のサイクルを回す際には、次の2つのポイントを意識しましょう。

ポイント1:判断が難しい状況でこそ、基準を明確にする

現場の判断・行動が、会社の理念に照らしてどうなのかをすり合わせるなかで、判断基準や望ましい行動に関する共通認識が生まれていきます。このときに大切なのが、判断が難しい状況でこそ、基準を明確に決めることです。

ビジネスにおいては、経営も現場も正解を導き出すのが難しいケースが多々あります。売上を取るか、顧客満足を取るか、従業員のモチベーションを取るか……常にすべてを取れるわけではありません。このようなとき、判断基準がないと適切な意思決定ができないだけでなく、不祥事を招いてしまう可能性もあります。難しい状況に立たされたときこそ、逃げることなく、判断基準を明確にすることが大切です。

たとえば、当社のある部署では「法令順守 ≧ 健康管理 ≧ 家族関係 ≧ 組織人事 ≧ 顧客満足 ≧ 業績向上」というように優先順位(判断基準)を定めています。この判断基準のポイントは「>」でなく、「≧」を使っていることです。すべてを同時に実現することを目指しながら、それが難しいときには、より優先順位の高い選択ができるようにしています。

ポイント2:表層の行動ではなく、深層にある考え方をすり合わせる

望ましくない行動があったときは、表層の行動だけでなく、その行動に至った理由や考え方についてすり合わせることが大切です。

たとえば、「お客様に美味しいラーメンを提供する」という理念を掲げ、営業するラーメン店があったとします。ある日、アルバイトのAさんは、できあがったラーメンをすぐに提供せず、しばらく放置していました。店主が理由を尋ねたところ、Aさんは「立て続けに注文が入り、注文を取るだけで精一杯でした。注文のお客様を待たせてはいけないと思い、提供が遅れてしまいました」と答えました。Aさんの行動を理念に照らして考えてみると、いかがでしょうか。注文のお客様には「恐れ入りますが少々お待ちください」と伝え、先に出来立てのラーメンを提供することが適切だったと分かるはずです。

このように、表層の行動ではなく、深層にある理由や考え方にフォーカスしてすり合わせていくことで、徐々に望ましい判断・行動ができるようになっていきます。

組織の成長ステージに合った施策で理念浸透を

理念浸透を図るうえでは、理念の「実践」促すだけではなく、組織の「成長ステージ」によってその課題が変わってくることも認識いただきたいと思います。当社では、組織の成長ステージを以下の3つに分類しています。

▼拡大期(従業員数:~300名程度)

拡大期は、従業員数も少なく、判断基準や望ましい行動が浸透しやすい時期です。一方で、人員増を急ぐあまり理念への共感が低い人材を採用してしまったり、業務でのパフォーマンスは高いが理念の実践度は低い人材を管理職に登用してしまったりすることで、結果として理念浸透が難しくなってしまうことがあります。

▼多角期(従業員数:~1,000名程度)

多角期は、拡大期から働いている従業員と、新しく入社した従業員との間に「経験格差」が生まれ、判断基準や望ましい行動の浸透度が下がっていきます。また、新規事業に乗り出す時期であるため、既存事業と新規事業の間で判断基準や望ましい行動が変わってくることも少なくありません。その状態で判断基準や望ましい行動を無理に統一しようとすると、抽象度が高くなりすぎて機能しなくなってしまいます。

▼再生期(従業員数:1,000名程度~)

再生期は、従業員数が多く、組織が硬直化しているため、なかなか新しい判断基準や望ましい行動が伝播していきません。中長期かつ幅広いチャネルで浸透を図っていく必要があります。さらには、社内に疲弊感や「どうせ変わらない」という諦め感が漂っている場合が多いため、取り組みの1年目、最初のステップで「会社として絶対に変わる」という覚悟を見せられるかが勝負所です。

このように、組織の成長ステージによって理念浸透の課題は変わってきます。自組織の成長ステージに合った施策によって理念浸透を図ることが大切です。

たとえば、当社がご支援しているA社(従業員数1,000名程度)は、これから新規事業を生み出していこうという「多角期」にありました。同社は、MVV(Mission、Vision、Value)の浸透を図るために、Vision Bookの配布、経営陣のメッセージ発信、ワークショップ、表彰制度など、定番の施策はひと通り実施しました。しかしながら、経営陣は「現場で望ましい行動が生まれてこない……」「拡大期のような熱量が感じられない……」と悩んでいました。

多角期にある会社において、既存事業を担う従業員と新規事業を任された従業員では、求められることが違います。判断基準や望ましい行動は、期待される役割によって変わってきます。にもかかわらず、A社は全社一律の施策によってMVVの浸透を図っていたため、うまくいかなかったのです。

「既存事業を担う従業員には、創業時から大切にしてきた考え方を忘れずに仕事をしてもらいたい」「新規事業を担う従業員には、新たな行動指針を体現してもらいたい」というように、事業内容や組織の状況に合わせて理念浸透の施策を講じることが重要です。

おわりに

立派な理念があっても不祥事が起きてしまうのは、理念が「理解」されていても「実践」されていないからと考えられます。理念を実践できている状態とは、経営陣や従業員が共通の判断基準を持ち、正解が見えないときでも理念に立ち返って正解を導き出せる状態です。本記事でお伝えしたように、自組織の成長ステージに応じて、「1.すり合わせ → 2.承認 → 3.実践」のサイクルを回すことで、ぜひ理念の浸透を図っていただきたいと思います。

次回は、不祥事を防ぐ組織づくりの事例をご紹介します。

>>>第6回 不祥事防止に繋がる組織づくりの事例~三菱電機とソニーグループの取り組みから

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