義務化じゃなくても活用できる。「人的資本の情報開示」のメリットと実践事例
はじめまして。株式会社SmartHRの藤田隼です。「SmartHR」は、雇用契約や入社手続き、年末調整などの多様な労務手続きを効率化しながら従業員データを蓄積させ、さらにそのデータを活用した「人事評価」「従業員サーベイ」「配置シミュレーション」などのタレントマネジメント機能により、組織の活性化や組織変革を推進し生産性向上を支援するクラウドソフトです。
簡単に自己紹介をしますと、2017年にSmartHRに入社し、以降2020年までの4年間、人事・労務のお役立ちメディア「SmartHR Mag.」の編集長として、約500本の記事企画や執筆、編集に携わってまいりました。現在は、同メディアを運営する当社コンテンツマーケティング領域とユーザーコミュニティ「PARK」を運営するアドボカシーユニットを管掌するシニアマネージャーを担っています。SmartHR Mag. においては、編集長を交代して久しいのですが、現在もいち編集部員としてゆるやかに携わっています。
そんな人事・労務領域のサービスを手掛ける一人の編集者としても、また一人のマネジメントとしても注目しているテーマが、「人的資本経営」および「人的資本の情報開示」です。
当社は、“well-working”というキャッチフレーズのもと、「労働にまつわる社会課題をなくし、誰もがその人らしく働ける社会をつくる。」というコーポレートミッションを掲げています。人事領域におけるトレンドワードとなっている「人的資本経営」および「人的資本の情報開示」と通ずる部分を感じずにはいられず、興味深くウォッチしています。
アメリカでは先行して、証券取引委員会(SEC)により2020年にすべての上場企業に対してISO30414に基づいた情報開示が義務付けられているほか、日本においても2023年3月期決算以降、有価証券報告書を発行している企業を対象に、「女性管理職比率」「男女間賃金格差」「男性育児休業取得率」の3項目を中心とした開示が義務化されています。
一見、人的資本経営やその情報開示は「上場企業や大企業のためのもの」という印象を受けますが、人的資本経営で向き合うべき本質やメリットに着目すると、義務化対象か否かによらず重要なテーマであることが理解できます。労働力人口が減少し、人材獲得難の時代を迎える我が国においてはなおのことです。
本稿では、背景と事例を踏まえながら、未上場企業/非上場企業における人的資本経営とその情報開示の必要性やメリットを探ります。
とはいえ、私は人事担当者でもなければアカデミックな専門家でもなく、何かの正解やアドバイスをできる権威性・専門性は持ち合わせていません。であるからこそ、フラットな立ち位置からの問いが、各社なりの人的資本経営と向き合うきっかけとなれば幸いです。
目次
なぜ社会で人的資本経営が必要とされているのか
そもそもなぜ「人的資本経営」が注目されているのでしょうか? その背景には2つの潮流があると考えられます。
ひとつは「ESG投資の浸透」。「GLOBAL SUSTAINABLE INVESTMENT REVIEW 2020」によると、サステナブル投資額の推移として、日本では2018年から2020年の間で34%の増加、アメリカでは42%の増加を記録しています。人的資本はもともと、人事領域において注目されてきた概念ですが、ESG投資拡大の影響を受け、現在ではキャッシュフローにおけるメリットも見込んで、人的資本の投資や開示に取り組む重要性が認識されるように。
もうひとつは、「働き方の変化」。労働力人口の減少に加え、VUCAと呼ばれる先行きが不透明で、将来の予測が困難な時代が到来しています。また、その中で誰もがその人らしく働ける公平な社会の実現が求められるなど、働き方や労働を取り巻く価値観や環境は大きな変化を迎えていると言えるでしょう。
このような時代にあって、持続可能な成長を期待できる企業なのかについて、投資家や顧客、生活者、働き手など多くのステークホルダーから問われる時代になっています。
その実現を支える取り組みが「人的資本経営」であり、「人的資本の情報開示」はその対話の手段であると捉えられるでしょう。
「大企業、上場企業だけがやるべきもの」という解釈ではもったいない
前述のようにステークホルダーには、投資家のみならず、その企業に関わる顧客や生活者、働き手も含まれます。
顧客や生活者視点で見れば「その企業の商品やサービスを利用し続けるメリットがあるのか? 将来的に得られる価値は向上するのか?」、働き手視点で見れば「その企業に勤めることで、自分の人生の貴重な数年間を懸けるだけのリターンを得られるのか?」が問われるでしょう。
どんなモノを買うか、使うか、あるいはどんな企業で働くかを考えるうえで、その選択者にとっての将来的なリターンの大小は、本来「上場しているか否か」「大企業か否か」だけで判断するものではないはずです。
「上場していないから」「大企業ではないから」という理由から、人的資本の情報開示というテーマをひとごととして捉えたとしても、今すぐ何かを損なうことはないでしょう。
しかし、数年後、あるいはさらにその先で、自社が持続可能な成長を遂げ、競争優位性を確保していくためには、多くの企業にとって重要なトピックであると言えるはずです。
(脱線)情報開示は組織やステークホルダーとの信頼関係の構築につながる?
神経経済学者ポール・J・ザックも著書『TRUST FACTOR トラスト・ファクター ~ 最強の組織をつくる新しいマネジメント』のなかで、組織に信頼の文化を生む8つのファクターの頭文字をとり、信頼ホルモン・オキシトシンになぞらえ「OXYTOCIN」というモデルで紹介しています。
<「信頼」を実現する8つの要素>
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【引用】ポール・J・ザック 『TRUST FACTOR トラスト・ファクター ~ 最強の組織をつくる新しいマネジメント』
人的資本の情報開示はこのうちの“Openness(オープン化)”と関連していると考えられ、自社の従業員をはじめとしたステークホルダーとの信頼関係構築に寄与し得ると考えられます。
人的資本経営戦略に基づくステップ・バイ・ステップでのフロー
とはいえ、どのように人的資本の情報を開示し、対話していけばよいのでしょうか?
下図は内閣官房 非財務情報可視化研究会による「人的資本可視化指針」で紹介されている、人的資本経営戦略に基づくステップ・バイ・ステップでの開示のイメージです。
【出典】人的資本可視化指針 – 内閣官房 非財務情報可視化研究会(p.7)
「人材戦略・人的資本」フェーズ
そもそもの基盤となる重要なフェーズです。自社のパーパスやそれに基づく人材戦略を明確化します。
その理想と現実の差分を、AsIs-ToBeのフレームワーク等を用いながら定量的に把握します。
「可視化」フェーズ
図内では「制度開示に対応しつつ、人的資本、人材戦略についてできるところから開示する」と記載されていますが、義務化対象ではない企業においては、以下の2つに基づき「どのようなアウトカムを生み出していくのか」の開示がポイントになるでしょう。
- 自社固有の戦略やビジネスモデルに沿った独自性のある取り組み・指標・目標の開示
- 比較可能性の観点から開示が期待される事項
特に自社固有の戦略と関連深い項目については、ただ数字を開示するだけではなく、改善のためのプランや具体的なアクションなども併せて開示することが重要です。ステークホルダーの解像度が高まり、より良い対話につながると考えられます。
このフェーズ以降では、ステークホルダーからのフィードバックを踏まえながら、人材戦略のアップデートや人的資本への投資、可視化を繰り返しながら企業価値のスパイラルアップを目指します。
義務化対象ではない企業における人的資本開示の実践例
義務化対象ではない未上場 / 非上場企業における開示事例を紹介します。
(1)コクー株式会社
「人財」×「デジタル」事業で社会のDX化を支援するコクー株式会社では、「デジタルの力でダイバーシティ&インクルージョンがあたりまえの社会を創る」というパーパスを掲げています。
その過程を、3つのステップに分けて注力目標を設定しているようです。
例えば同社は、パーパス実現に向け自社のダイバーシティ&インクルージョンと向き合うべく、上図のステップ1において「ダイバーシティに関する意識改革」「女性活躍推進への取り組み」を掲げています。その中で、女性役員比率を2026年までに50%以上にするというKPIを設定。女性社員が8割を占める社員構造のなかで、チームリーダーやグループリーダーにおける女性比率は高まっているものの、役員比率は現状追いついていないことを開示しています。
参考:入江雄介@コクーCEO - ダイバーシティ&インクルージョン
そのギャップを埋めるためのアクションを、先述のオープン社内報や各メディアにおいて、定期的に発信するなど、タイムリーかつ多様な接点におけるマルチチャネルでの開示が実践されています。
弊社メディア「SmartHR Mag.」の編集部員が同社CEOの入江雄介にインタビューしたところ、開示を通じたステークホルダーとの対話の効果として、求職者の増加および採用コストパフォーマンスの向上といった採用競争力の確立に寄与しているほか、ビジョンに共感する企業からの受注や協業につながったケースがあることも紹介していただきました。
参考:SmartHR Mag. - 信頼を得るための前提条件。“非”開示義務企業における「人的資本開示」のメリット
(2)株式会社ユーザベース
経済情報プラットフォーム「SPEEDA」やソーシャル経済メディア「NewsPicks」を手掛ける株式会社ユーザベースは、「経済情報の力で、誰もがビジネスを楽しめる世界をつくる」というパーパスのもと、多種多様な“異能”を結集するべく「異能は才能(We need what you bring)」というバリューを定めています。
同社は、その実現やバリューの発揮に向け、ダイバーシティ&インクルージョンから一歩踏み込んだ概念である「DEIB(Diversity, Equity, Inclusion & Belonging)」を掲げており、2023年6月にはコーポレートサイト上で「DEIBレポート」を公開しました。
【出典】株式会社ユーザーベース - 2023年度DEIBレポート(P6)
また、同レポート以外にも、コーポレートマガジン『Uzabase Journal』においてアクションの詳細を紹介するなど、核となるレポートとより踏み込んで解説するマガジンという構造になっています。
【出典】Uzabase Journal - 当事者と景色の交換をしながらフェアネスを追及——海外版 産休・育休ハンドブック誕生の背景
(3)ナイル株式会社
インターネットを活用したホリゾンタルDX事業や、豊かなモビリティ社会を後押しする自動車産業DX事業を手掛けるナイル株式会社は、「幸せを、後世に。」というミッションのもと、新たなコーポレートビジョンとして「日本を変革する矢」を掲げています。
同社はビジョンの刷新にともない、「人と組織のレポート2023」を公開。「組織に関する情報」や「人と組織に関する考え方」、「制度や各種取り組みとそれに対する数値成果や従業員からの反響」といった内容のもと、「ジェンダー比率」や「新卒/中途採用比率」、「男女賃金差」といったデータを開示しています。
義務化対象ではないからこそ、形式にとらわれず柔軟な対話を
今回紹介した各社に共通するのは、“義務化対象”ではないからこそ、一般的な開示形式にとらわれず各社なりのチャネルや表現方法によって、柔軟な開示を実践していることです。
既に採用活動や事業において効果が出ている事例が生まれ始めていることからも、開示義務の対象であるか否かを問わず、人的資本の情報開示が「未来の競争優位性」をつくる重要な手がかりになると捉えられるのではないでしょうか。【おわり】
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