社史から読み解く“自社らしいマネジメント” 第4回

社史から読み解く“自社らしいマネジメント”~ホクト株式会社

前回、ホクト株式会社(以下、ホクト)の社史に少し触れながら、以下のようなことを見てきました。

社史とは、「自社の発展‐成長の歴史」であり、「歴代経営者の葛藤‐決断の連続」
「自社の発展‐成長を産み出したもの~経営者の決断と現場の無数の努力」
■社史を読み解くにあたっての観点としての持続成長の5条件

今回は、前回取り上げたホクトの社史を題材に、更に具体的に考えてみたいと思います。
皆さんにお願いしたいことはただ一つ。
「自分がホクトという会社の社長で、その事実・状況に置かれていたら、何を感じ、どう振る舞っていたのだろう」とイマジネーションしながらこの後のコラムを読み進めてもらいたいということです。

参考:第3回 “自社らしいマネジメント”を“社史から読み解く”ことの意義

目次

  1. 創業
  2. 事業の発展・成長における決断場面
  3. 自社らしい働きざまをマネジメントする

創業

ホクト株式会社のコーポレートサイトに掲載されている「歴史」(社史)には、
■昭和39年7月 長野県長野市大字箱清水においてデラップス商事株式会社を設立、一般包装資材の販売を開始。資本金50万円
■昭和43年4月 本社工場を設置し、きのこ栽培用のP.P(ポリプロピレン)ビンの製造を開始
とあります。

普通に眺めているだけでは、すーと読み流してしまうことでしょう。しかし、当時の状況を思い起こしながら眺めてみると、いろいろ疑問が湧いてきます。例えば、

  • なぜ、包装資材に目をつけ、ビジネスにしようと思えたのか?
  • その後、きのこ栽培用のP.Pビンを開発しようと思ったのはなぜか? 

ここで大事になるのが、「自分がホクトという会社の社長で、当時の事実・状況に置かれていたら、何を感じ、どう振る舞っていたのだろう」ということです。
まずは、当時のホクトを取り巻く現実をみておきましょう。

創業1か月前の大地震が転機に

創業者の水野正幸氏は長野県生まれ。卒業後地元に戻ると、食品問屋に入社します。そこで働くなかで、チェーンストアについて学び、食品店に対してチェーン化を説明していく役割を担っていたといいます。しかし、創業時の昭和39年頃は日本初のセルフ式スーパーと言われる紀ノ国屋(東京)などが開店したばかりのチェーンストア黎明期です。まだ世の中にでてきたばかりの考え~チェーンストア理論について、人に伝える役割を担っていたわけです。

その過程で包装資材メーカーの役員であった叔父から、「うちで作っている包装資材を販売してみないか」と声をかけられたことで、食品問屋を辞めて昭和39年7月に「デラップス商事株式会社」を設立します。当時は経木によって包装されていた時代。その中で世に出回り始めた包装資材を売っていくことになります。

創業される1カ月前には新潟地震がありました。当時、きのこ栽培にはガラスビンが使用されていましたが、この地震により、多くのビンが破損し栽培農家は大打撃を受けたそうです。それをみた創業者は「割れない栽培ビンを作れないか」というアイデアを温め続け、3年後の昭和42年[1967年]には、千葉県のメーカーと一緒になって、ポリプロピレン(P.P:日本では昭和37年[1962年]に生産が始まったばかりの新しい素材)を使用したP.Pビンの試作品を作り出します。これが「割れない」「軽い」と大きな評判を呼び、きのこ栽培農家に広く支持されることになります。そして、翌年にはP.Pビンの自社生産に乗り出します。

創業期の働きざまが、会社・自分にとっての原点として胸に刻まれる

さて、みなさんが社長だったら以下の決断場面、どのように考えますか?

  • 叔父から声をかけられたときに、本当に食品問屋をやめて独立するのか
  • 新潟地震で、倒壊した農家・栽培ビンをみたとき、創業時の忙しさもあるなかで、P.Pビンを開発しようと思うのか~3年間かけて開発をし続けるときの原動力は何だったのか?
  • 3年間もの苦楽を共にした協力メーカーでの生産から、自社生産に切り替えるのか
  • そして、そうした決断をどのように実現させてきたのか

一つひとつの場面について、やりたい気持ちと躊躇する気持ち、両方を味わいながらみていくと、社長の選択・決断を支えた意思決定の基準値、それを実現させた働きざまが見えてきます。
下の図は、それについて、私なりの仮説をもとに持続成長の5条件※にまとめたものです。

※「持続成長の5条件」は第3回コラムで詳しく紹介しています。

この創業期の働きざまが、経営者にとっては、辛い・苦しい時に呼び起こす、自分を支えるものになります。“自分は何の為に、何を実現したくて、この事業をやっているんだ?”
いわば会社・自分にとっての原点として胸に刻まれるものになります。

事業の発展・成長における決断場面

さて、こうして創業期を読み解いた後は、「事業の発展・成長における転機となった決断場面」に注目してみてください。そこに色濃く“自社らしいマネジメント”が現れています。

話をホクトに戻します。包装資材の販売会社として創業し、それがいまや年商500億円を超えるきのこの製造・販売会社になっています。こうしてみると一番の転機は、前回でもご紹介した、きのこの大規模生産を始めたことになるでしょう。改めてあの場面を読み解いてみましょう。
社史には、
■平成2年4月 長野県千曲市に更埴きのこセンターを開設
■平成2年10月 ブナシメジ新品種ホクト5号菌開発
とあります。ここを読み解いてみたいと思います。

ようやく白いエノキタケを開発するも、状況が一変

まずはその直前の会社の状況を整理しておきます。事業構造としては、一般包装資材・農業資材の製造・販売に加えて、一部エノキタケの製造・販売も行っていました。
社史にも、
■平成元年4月 長野県長野市に柳原きのこセンターを設置
とありますが、これはエノキタケの製造センターのことです。
更に、手前には、
■昭和61年6月 エノキタケ新品種ホクトM-50開発
とあります。この新品種とは白いエノキタケのことです。エノキタケというと、白いものを思い浮かべると思いますが、実は昔は茶色でした(今でもブラウンエノキタケという名前で購入できます)。その茶色いエノキタケを栽培・品種改良を重ねて白いエノキタケを開発したのがホクトだったのです。

当時ホクトは、農業資材を販売する傍ら、農家に栽培技術を指導できるよう、自ら小規模のきのこを生産していました。そして農家から“店頭で見栄えのする白いエノキタケを開発してもらえないか”という要望をもらいます。“白いエノキタケ”については(当時の)10年ほど前から研究はされていたものの、どこも実現できていない難題でした。しかし、ホクトが本格的に研究着手して数年経った昭和61年、見事白いエノキタケを開発します。

昭和63年には種苗登録しますが、その翌年になると状況が一変します。ホクトが知らないうちに世の中にエノキタケが出回り始めたのです。ホクトから見ると、農家のために長い年月をかけて開発していたはずのものが、知らない間に許可なく栽培されていたことになります。当然、種苗法違反で訴訟を起こしますが、どうも旗色が悪いまま訴訟は推移していきます。

ここまでが、大規模生産を開始する直前の状況です。
次の図表2は、そのとき取りうる選択肢とそのメリット・デメリットを当時の状況を踏まえて仮説したものです。
さて、あなたが社長だったら、どう考え、どの選択肢を決断しますか?

そのとき、どう決断したのか

こうしてみると、選択肢3を取る合理的な理由が極めて薄いことがわかります。では、社長の背中を後押ししたものは何だったのでしょうか?
おそらく、このとき社長は、本当にやるのか・やらないのかを何度も何度も考えたことでしょう。それでも正解がないなか、社長の胸に去来したもの、それは「自分自身が創業からこれまで、経営者自身が何を大事にしてきたこと」、そして、P.Pビンや白いエノキタケを業界に先駆けて開発した「ホクトの現場が築き上げてきた働きざま」だと思います。そういったことを胸に秘め、自分自身と現場を信じ、最後に賭けとして“やる”と決めたことでしょう。

その後の困難をどう乗り越えていったかを簡潔に記しておきます。

直面した問題は非常に多岐に渡ります。真っ先に直面したのが使用予定の培地(キノコが生育する土台)や種菌が権利関係で使えないこと。一から作り直しです。培地に関しては、様々な可能性を検討した結果、海外から調達することにしました。種菌に関しては、山に自生する野生株を探しに探し、様々な野生株を採取し、それらを交配し続けること3年、ようやく満足する種菌ができました。
当然、その間は形状や味が安定しません。また、農家との関係で長野県内や他県であっても青果市場では扱ってもらえません。形状や味が不安定なブナシメジを背負って東京のスーパーマーケットをターゲットに営業を行わざるを得ませんが、土地勘があまりないなかでの営業活動です。

当然、行く先々で断わられ続けます。しかも、この間、農業資材関連の売上が激減するのです。そのような目に見えないプレッシャーもあるなかで営業すること1年、努力が実を結び、大手スーパーと取引を開始することができたのです。
採用の決め手は、大規模≒大量に安定したきのこが手に入ること。大規模生産だからこその強みを評価されたのです。その間、営業の人も生産の支援に出向いたりしながら、営業・生産・研究の垣根なく、ブナシメジについて侃々諤々語り合い、時に罵り合いながら、お互いを支え合い、困難を乗り越えていく原動力になりました。

ホクトの持続成長の5条件を考える

下の図は、私なりの仮説をもとに持続成長の5条件にまとめたものです。

創業時と見比べても、ホクトらしい働きざまが脈々と受け継がれていることが見えてきませんか?
難局に差し掛かると自然と滲み出て、乗り越えていく力の源泉、それが自社らしい働きざまなのだと思います。

自社らしい働きざまをマネジメントする

社史に記載された出来事はたったの一行。その裏に隠された現実・事実を紐解くことで、経営者の葛藤・覚悟、働く人たちの思いの詰まった試行錯誤が見えてきます。
先が見えない時代だからこそ、様々な難局に直面します。そうした難局を乗り越える力の核心は、誇り・情熱の染み込んだ自社らしい働きざまにあると思うのです。
読者の皆様も是非一度、自社の社史を紐解き、そこから自社らしい働きざま・マネジメントを読み解いてみてください。

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