コラム

専門家が解説する「コミュニケーション能力」


コミュニケーションの責任を誰が負うか “受信者責任”から“発信者責任”へ

2018.01.10

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多くの企業が、コミュニケーション力の高い人材を求めています。経団連が実施している「新卒採用に関するアンケート調査結果」では、「選考にあたって特に重視した点」として、15年連続でコミュニケーション能力が1位となりました。

一方で、コミュニケーション力の定義は曖昧です。自社の業務に必要なコミュニケーション力がどんなものか、きちんと考えたことのある人事の方は少ないのではないでしょうか。一般社団法人 教育コミュニケーション協会の代表理事で、「説明力養成講座」を主催する木暮太一氏が、ビジネスに必要なコミュニケーション能力の本質を掘り下げます。

木暮太一木暮 太一(こぐれ・たいち)

一般社団法人 教育コミュニケーション協会 代表理事。
慶應義塾大学経済学部を卒業後、富士フイルム、サイバーエージェント、リクルートを経て独立。説明能力と、言語化能力に定評があり、大学時代に自作した経済学の解説本が学内で爆発的にヒット。現在も経済学部の必読書としてロングセラーに。現在では、企業・団体向けに「説明力養成講座」を実施している。「『自分の言葉』で人を動かす」「カイジ『命より重い!』お金の話」など著書多数。

「人の話を聞ける人材」? 「自分の考えを言える人材」?

コミュニケーション力について、子どもに身につけてもらいたい能力は、各国で違うようです。わかりやすいところで、日米で比較すると、日本では、「相手の気持ちがわかる子に育ってほしい」、「ちゃんと話を聞く子になってほしい」という意向が強いようです。

一方、アメリカでは異なります。アメリカでは、「自分がしてほしいことが何か明確にいえる子になってほしい」、「自分の意見を言える子供になってほしい」という意見が多いようです。

言葉を変えると、情報の「受信力」を高めたいと思っている日本と、情報の「発信力」を高めたいと思っているアメリカ、と言えるのではないでしょうか。

これはもちろん、どちらがいい・悪いということではありません。ただし、社会が多様化していくと、「話を聞くこと(情報を受信すること)」以上に「話を伝えること(情報を発信すること)」が重要になっていくと思うのです。そういう意味では、「自分の考えを発信できる人材」の重要性がより高まると感じています。

受信者責任か、発信者責任か

情報が伝わらなかったとき、その責任の所在をどう考えるのかは、その社会、組織、もしくはその個人の関係性によって違います。

ただ、大きく考えると、「話を聞いている人が理解できなかったことに責任がある」と考える“受信者責任”と、「伝える側が伝えられなかったことに責任がある」と考える“発信者責任”に分けられます。

日本は長らく“受信者責任”に重きが置かれていました。学校で授業が理解できないのは生徒のせいでした。企業内でも、「ちゃんと理解できない部下が悪い」「その場で質問しないのが悪い」と言われることが多々あります。

情報の受信者責任に、全く責任がないのではありません。ただ、「聞いている側が確認しないのが悪い」という話が当てはまるのは、そもそもの前提認識・共通認識がある場合のみです。

これからの時代、文化も違えば、言語も違う、意識も好みも全然違う人材とやり取りしていかなければいけません。

冒頭で「アメリカでは、自分の意見をはっきり言える子どもになってほしい、という意向が強い」という話を出しました。アメリカのような多種多様な人間がいる社会では、“受信者責任”よりも、“発信者責任”を強く意識せざるを得ないのでしょう。

受信者責任を重視したあまり、相手にも「察すること」を期待していないか?

相手が伝えたいことを頑張って理解しようとするのはとても大事なことです。コミュニケーション研修でも「聞く姿勢(傾聴力)」は重要な項目に位置づけられています。

しかし当たり前ですが、聞いているばかりで意思の疎通はできません。受信力(聴く力、質問力、理解力)を鍛えるだけで、一人前の企業人になれるかといえば、そうではありません。

そして、この受信力を重視するがあまり、発信力がないがしろになっていないかと感じるのです。それ以上に、「自分の伝え方は適当でいい。あとは相手がちゃんと察するべき」とさえ考えている方もいます。

だから「教えることが苦手」「指示がうまくできない」という課題が出てくるのです。

意思の疎通/情報伝達には、2種類あります。“コンテクスト・コミュニケーション”“コンテンツ・コミュニケーション”です。“コンテクスト・コミュニケーション”とは、前提知識をもとに、暗黙の了解や雰囲気で意思の疎通を図ること、と考えてください。

たとえば、月末最終営業日の午後、営業目標達成率99.9%だったとします。ここで上司が「絶対やりきるぞ!」とメンバーに発破をかけます。メンバーも「はい、絶対やり切ります!」と答えるでしょう。

このやり取りで、部下は上司が言わんとしていることを「察する」ことが求められています。何をやりきるのか、やりきるとはどういうことなのか、という内容が一切出てきていないからです。

内容を言わずにその場の文脈・流れで意思の疎通を図るのが、“コンテクスト・コミュニケーション”です。日本ではこの“コンテクスト・コミュニケーション”が占める割合が非常に多いと感じています。

ただし、このやり取りが成立するのは、上司と部下で、ある共通認識があるからです。それは「営業目標を達成しなければいけない」という前提です。「営業目標を達成しなければいけない」という命題に対し、「なぜですか?」と疑問に感じる人がいたら、会話が成立しなくなります。

上司がいくら声を大にして「絶対やりきるぞ!」と吠えても、「やりきるって、何をですか?」という質問が出てきてしまいます。これは“やる気がない社員”には会話が通じないということではありません。

そもそも「達成率99.9%」と「達成率100%」は全然違う、最後の0.1%を獲得することが今月の成功を意味する、という共通認識がなければ、「絶対やりきる」がさしている意味が理解できないわけです。

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これに対して、“コンテンツ・コミュニケーション”があります。先程の例に重ねて説明すると、これは「具体的内容を示して意思の疎通を図る」ということです。たとえば、「絶対やりきろう!」ではなく、「今日の夕方17時までに、売上あと50万円増やそう! みんな、既存のお客様全員に、再度電話をかけて売り込んでくれ」となります。

社会が単一で、画一的な場合は、状況から察してもらう“コンテクスト・コミュニケーション”が成立します。でもこれは言葉を換えれば「ニュアンスで伝えている」ということです。そのニュアンスが理解できない相手には、具体的な内容(コンテンツ)で会話しなければいけません。

発信力とは、コンテンツ・コミュニケーションができる力

発信力を鍛えようと考えたとき、目を向けるべきなのは“コンテクスト・コミュニケーション”ではなく、“コンテンツ・コミュニケーション”です。自分の雰囲気ですべての意思の疎通ができる達人になれば別ですが、基本はそういうことはあり得ません。

メラビアンの法則を取り上げて、「コミュニケーションにおいて、言語(言葉)で伝わるのは7%」と語られることがあります。しかしこれが誤解であることは、もはや有名な話ですね。言葉を使わず、「見た目」と「声のトーン」だけで、93%分のコミュニケーションができるかわけはありません。

言葉を使わずに会議はできません
言葉を使わずに相談はできません
言葉を使わずにスピーチはできません

言葉を使わないコミュニケーションは、「私が言いたいことを、表情や声のトーンから察してください」ということと一緒です。通常の意思の疎通の場であれば言葉は重要です。というより、言葉こそが重要です。つまり、“コンテンツ・コミュニケーション”が何よりも重要なのです。

時代は、“受信者責任”から“発信者責任”に移っています。「なんとなく、よさげにやっといて」では、発信者としての義務を果たせていません。

「話を聞ける」「察することができる」は、企業人にとってとても大切な要素です。ですが我々はそれについては、もう十分トレーニングを積んできました。社会に出てから学ぶべきことは「発信者責任」の考え方と、言葉で相手に伝える力ではないでしょうか?

執筆者紹介

木暮 太一(こぐれ・たいち) 一般社団法人 教育コミュニケーション協会 代表理事。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、富士フイルム、サイバーエージェント、リクルートを経て独立。説明能力と、言語化能力に定評があり、大学時代に自作した経済学の解説本が学内で爆発的にヒット。現在も経済学部の必読書としてロングセラーに。現在では、企業・団体向けに「説明力養成講座」を実施している。「『自分の言葉』で人を動かす」「カイジ『命より重い!』お金の話」など著書多数。

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